「学生時代の同級生から仕事の依頼がきてるんですが・・」
在籍していた会社を独立する間際、入社したばかりのデザイナーから相談を受けた。
その同級生は美大在学中から独学で靴のデザインに取り組んでおり、
シューズメーカーとデザイナー契約を結ぶなど、学内でも一目置かれる存在だったらしい。
オーダーされた内容は、ストリートファッション誌に広告を出稿したいので、
デザインしてもらえないか?というものだった。時間も予算もまるでなかったが、
"在学中から独学で靴のデザイン"をしている人物に興味を覚え、一度会おうということになった。
想像とは裏腹に真っ黒に日焼けしたサーファー兼シューズデザイナー、それが三原康裕君だった。

彼は会った瞬間から怒濤のごとく語り始めた。
何故靴を作っているのか?、工房を浅草橋に構えた理由、デザイナーと靴職人との関係、
最初に作る木型のことを"ラスト"ということ、それを自ら手がけることの意味。
靴を誰にはいて欲しいか?、価格設定のこだわり、靴は自分のこれからの序章にすぎないこと、
クリエイションに込める思い、モノを造るということ、そしてそのエゴイズムについて。
郷里の福岡のこと、画家のお母さんの話、幼少までまったくしゃべらない子供だったが、
ある日突然堰を切ったよう語りはじめたという生い立ち。アート、音楽、サーフィン。。

4時間オーバーの独演会。正直面食らった。
彼が創る靴のフォームは美しく、靴はここまで自由になれるんだという驚きと独創性があった。
事前にそのデザインを目の当たりにして、繊細で寡黙、作家然とした人物像を思い描いていた。
実際の彼は自分の立ち位置を冷静に理解し、思考や思想を自分の言葉に置き換えることのできる、
饒舌でアグレッシブなデザイナーだった。

溢れ出るコトバと縦横無尽にジャンプする話題にのめり込むうちに、雑誌広告のことなど
どうでもよくなってきた。語り終えてひと息つく彼にポツリと伝えた。
「この名刺、作り直そうよ」 。
交換した名刺は当時在籍していたシューズブランドの無味乾燥なものだった。
時折手に取って眺めていたそのビジネスライクな名刺と、彼のキャラクターとのギャップが
どうにも許せなくなってきたのだ。「三原君がこんな名刺使ってちゃダメだと思う」。
最初は目点だった彼も"何故この名刺ではダメなのか "を説くうちに納得してくれた。
かくして広告を作る仕事が名刺を作る仕事にすり変わり、それがミハラヤスヒロとの仕事の始まりとなった。

session.7 「自分の地図を描くこと」〜ミハラヤスヒロ〜

「青山に初めての直営店を出すのでインビテーションを作ってもらえないか?」
ブランドの立ち上がりからモロモロ手伝っていたある日、プレスのO嬢から連絡があった。
デビュー前から新進気鋭のデザイナーとして注目されていたミハラヤスヒロのオンリーショップ。
目利き揃いのプレスやバイヤー、ファッション関係者に送付する招待状が担う役割りは大きかった。
デビューにふさわしく、そして"来てもらえる"インビテーションでなければならない。

「ありったけの靴を用意して下さい」 。
闇雲に思案に明け暮れるよりは、先ずプロダクトに触れてみようとO嬢にリクエストした。
その時点では考えやアイデアなど全くなかった。ただ、カッコいいモデルに靴を履かせたような、
ありきたりのファッション表現では、彼の世界観は到底表せないという直感だけはあった。
テーブルいっぱいに広げた靴に囲まれて悶々と数日過ごしたある日、メンズのブーツが目に留まった。
手に取りいろんな角度から眺めていて突然ひらめいた。「靴で世界地図が作れるんじゃないのか!?」。
ブーツのフォルムがアフリカ大陸に見えたのだ。

つくるべきモノがはっきりすれば後は早かった。
片っ端から写真に撮り靴の世界地図を目指してコラージュしていった。
出来上がったインビテーションは満足するものに仕上がり、
ショップのお披露目は千客万来のにぎわいとなった。

この表現に導いてくれたヒントは、三原氏本人の言葉の中にあった。
彼は最初から世界を目指していた。シューズデザインというニッチな分野を最初選んだのは、
世界を視野に入れたウェアーライン展開の足掛かりを作るため、と語っていた。
決定的だったのは「自分の立ち位置が分からなければ地図が描けない」というフレーズだった。
独立を間近に控えてはいたが、未来に対して明快なビジョンを持ち合わせていなかった自分にとって、
話の流れの中で放たれた一言は(冷静を装ってはいたが)目が覚めるほど衝撃的だった。
まだ20代前半だった彼は、"自分の立ち位置"をいろんな側面から確認し、
今後歩むべき道筋をしっかりと把握していた。彼は自分の地図をすでに持っていたのだ。
ミハラヤスヒロのスタートのインビテーションが世界地図になったのは必然だったと思う。

現在、ミハラヤスヒロは国内外に複数のショップを展開し、海外ブランドとのコラボレーションを
精力的に行なうなど、思い描いていたビジョンを着々と実現している。
彼の地図はきっと広大で果てしなく続いているのだ。

余談だがこのインビテーションの仕事にギャラは出なかった。
O嬢が申し訳なさそうに「現物支給でスミマセン。好きな靴を何足か選んで下さい」と言ってきた。
スタッフ一同大喜びしたのは言うまでもない。
 
 

ミハラヤスヒロ/CD+AD 日高英輝 D 植原亮輔